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- 第40回SMILE PROJECTレポート
こんにちは。
東日本大震災の復興支援活動を長期的に行う取り組みとして2011年10月より始まり延べ500人以上の社員が参加している「第40回SMILE PROJECT」について、カンパニーマーケティング部の小川よりレポートさせていただきます。
今回は、2018年8月10日~12日に東京・大阪から希望した社員9名で、気仙沼市、気仙沼大島、陸前高田市に伺いました。
今回は以下のようなスケジュールで活動を行いました。
1日目:
観光コンベンション協会 臼井局長の語り部を聞く(気仙沼)
米沢商会 米沢祐一さん(陸前高田)
ヤマヨ水産さん見学
明海荘で大島の方々と懇親会(気仙沼大島)
2日目:
月命日の捜索ボランティア
3日目:
桜ライン311での草刈ボランティア活動
<活動報告>
1日目、お昼に気仙沼に着いた私たちは先ず観光コンベンション協会の臼井さんのお話しを伺い、震災当日の様子や臼井さん自身が地震発生後、どのように行動したのか当時のことを教えていただきました。そこで語られた内容は、ご自身の職務の遂行と個人としての家族への思い、そしてご自身の避難行動との葛藤が伺える内容であり、実体験から語られる言葉の重さを知る良い機会となりました。
その後、陸前高田の米沢商会さんをお伺いし、震災遺構として当時の被害のまま個人で残しているビルにて、震災の際に実際にどのように津波から逃れられたのか、またどのような心境で行動されていたのかをお話いただきました。
お二人のお話をお聞きしながら震災前の街の様子を写真で見ると、今現在の風景とのギャップに3月11日以前は当然ながら日常の生活があったこと、また当たり前の日常全てを一瞬で飲み込んでしまう津波の怖さを改めて強く認識させられました。
その後、大島に移動し、ヤマヨ水産さんにて牡蠣の養殖の様子を見学し、夜は大島の方々との交流を深めました。
2日目は、気仙沼復興協会の月命日の捜索活動に参加してきました。震災から7年5か月という月日が経ちましたが、未だ気仙沼市内だけでも215名の方々が行方不明となっており、その手掛かりは見つかっていません。
今回の捜索活動は気仙沼市本吉町にある農地海岸にて行いました。台風13号が通過した後だったこともあり、多くの海藻をはじめとする漂流物があり、その中から何か手がかりとなるものはないか探させていただきました。捜索活動しながら横目に見える海は、とても穏やかで水は透き通っていましたが、震災の際はこの海の津波が猛威を振るったかと思うとそのリアリティを感じながら活動できたことも貴重な経験になりました。
3日目は、陸前高田にて桜ライン311プロジェクトの活動として、先月植樹した桜の周りの草刈りボランティアに参加しました。桜ライン311さんでは、津波の到達点での桜の植樹を通じて、後世の方々に津波の危険を伝え、津波の際には桜の並木よりも上に避難するように伝える活動を行っています。
先ず草刈りをする前に、桜ライン311プロジェクト代表の岡本さんより、当プロジェクトの設立背景や桜を植える理由、また活動を通じての地元の方々とのエピソードについてお話いただきました。
過去の津波の被害の教訓は、東日本大震災までは石碑という形で残っていたそうです。しかしその教訓は、時が過ぎる中で少しずつ薄れてしまい、結果的に未曾有の被害を受けてしまいました。同じような経験を次の世代の方々にも繰り返さないよう、手間がかかり、春には花を咲かす桜を植えることで人々の記憶に残す活動をされています。
以前参加したチームが植樹した桜の周りの草刈りを通じて、その場所から見える海との距離が非常に遠いと感じながらも、実際にここまで津波が来た事実に驚きも感じつつ、作業を行いました。
夏日の中、連日の外での作業にメンバー皆汗だくになりながら作業を終え、帰宅の途に着きました。
<今回の活動を終えて>
今回の経験を通じて自分は、震災での教訓を忘れずに後世に伝え続けること、つまり震災を忘れないことこそが大事であると感じました。
東日本大震災から7年5か月が経ち、街は一歩ずつ日常を取り戻しています。もちろん震災前と全く同じ風景になることはありませんが、7年5か月という月日で、道には乗用車が走り、お店も増え、観光客の方々も増えていると言います。また震災を経験していない世代も育ってきています。しかし、今回伺った話で皆さん仰っていたのが、過去に同じような大津波があったにも関わらず、浸水地域よりも低い地域に避難所が設定されているなど、過去の教訓を活かせず多くの方々が犠牲になってしまったということです。
その中で、もっと多くの住人に過去の教訓が活かされていれば、一人でも多くの命を防げたのではという思いで、今回お会いした皆さんも活動されていました。
自分自身、正直なところ今回の活動に参加するまで東日本大震災そのものの記憶は少しずつ薄れ、過去のものになりつつありました。テレビや新聞で目にする機会も少なくなっています。しかし、またいつか必ず日本には災害が訪れます。その時、どのような行動をするべきか、そして大切な人が犠牲にならぬよう伝えていくべきは私たちのような震災を経験した世代であると、今回の活動を通じて強く思うようになりました。もちろんこれは、津波を経験した方々だけでなく、全国の方々が知り、しっかりと伝えていかなければいけないことです。そのために記憶が薄まりつつある今だからこそ、後世に対して何を伝えていくべきか、そして自分たちが何ができるかを今一度見つめ直す必要があると感じました。
復興支援のボランティアと想像すると、肉体労働を想像する方も多いかと思います。しかし7年5か月経った今、瓦礫等はほぼなくなり、被災地の日常は少しずつ取り戻しつつあります。その中で、私たちは何ができるのか、それは定期的に訪れ、気仙沼、大島、陸前高田の方々と交流することで笑顔になることなのかもしれません。
桜ライン311プロジェクトや月命日の捜索活動のようなボランティアに加えて、実際に現地を訪れ地域の方々と定期的に交流することも震災を風化させずに後世に伝える復興の一助になるのではないでしょうか。今後もスマイルプロジェクトが継続されることと同時に、より多くの人々が気仙沼・陸前高田・大島を訪れて笑顔になることを切に願います。
最後に今回お世話になった気仙沼・陸前高田・大島の皆様、そして参加機会をくださった社内の皆様と、一緒に参加したメンバーの皆様、本当にありがとうございました。
皆様のおかげでとても3日間充実し、貴重な経験をさせていただきました。「また来るよ!また来てね!」の関係を大切に、被災地の方々に寄りそう活動であるべきと考え継続して取り組んできた本活動も今回で40回目を迎えています。
この経験を周りの人々に伝えると同時に、継続してより多くの人が参加できるよう今後もサポートしていければと思います。次回は桜の成長を見るのと併せて、個人的には気仙沼の海に自分の趣味であるサーフィンもしに行きたいなと思います。
活動年月日: 2018年8月10日~2017年8月12日